weblog@mazushima

京都で役者をやっている豊島勇士のブログです。

芝居をつづけるのはむずかしい

僕もいつも間にか5回生になって、あんな大人(?)になるまいと思っていたところにずっぽり足を踏み込んでいる。

本当に芝居なんてやるもんじゃないよ、というのは簡単だけど、その芝居で初めて自分の居場所を見つける人だっているわけで、僕も残念ながらそのひとり。

どうにかこうにか就職はしようと思い立ったものの、それもまだどうなるか、決まってこない。そんな現状では何を考えても仕方がないとは思いつつ、せっかく京都に暮らし続けたいと思ったのだから、どうやって自分が芝居を続けていくか、ぼちぼちと考えている。


長い時間をいっしょに過ごした劇団が、いろいろあった。
それが自分の看板になることに、抵抗を感じるようになってきた。

これは、自分の芝居を作ってこなかったツケが、ようやく回ってきたのかな、と思っている。何をつくるのかを自分で決めなければいけなくなって、ようやっと、自分が何も考えていないことにも気がついた。

気づいてみれば、同期や一つ下の人間が、自分の看板で芝居をしている。質はどうあれ、自分のやりたいことを考えながら、それを引っさげて観客と、何度もぶつかっている。まあ実際のところ彼らもいろいろあるんだろうが、創造性のカケラもない僕から見れば、正直羨ましい限りだ。

こういうことを考えると、いつも中島敦の「悟浄歎異」を思い出す。ようは、傍観者であることを自覚しながら、自嘲するだけで何にも動けない、あのカッパのことだ。

僕は、何ができるんだろうと考えても、やっぱり役者なので、脚本を書けようとは到底思われない。ましてやそれを片手に人を集めて金を出させるなんてのは思いも寄らないことで、やっぱりそういうことができるのは一種のカリスマだ。僕にはそんなものはない。

しかしまあともかくも、底本がある一人芝居とかなら、なんとかやってやれそうもない気もするので、そのうちユニットを立ち上げて、自分なりの芝居作りを始めてみるつもりである。そのための計画もいろいろ練っている。頭の中だけだけど。

「悟浄出世」のラストでは、哲学者を訪ね歩いてふらふらになった悟浄のもとに、観音様が現れる。それが悟浄にとっての救いになるわけじゃないけど、大きな転機にはなった。だけど、もう西部講堂にも観音様はいなくなってしまったし、僕は僕なりに、何か始めてみるしかない。