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京都で役者をやっている豊島勇士のブログです。

なんで「パフ」を面白いと思ったか

昨日の11時の回、劇団しようよの『パフ』を観てきました。

個人的には面白いと思って、「くそ」と思ったので、そのことについて書きます。

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まず、僕はなんとなく劇団しようよが嫌いでした。

ていうか、西部界隈以外の劇団は大体、嫌いか馬鹿にしているんですが。

完全に中二病です。

 

その僕がなんでわざわざこの2週間、「ソノノチ」と「しようよ」という別にとりたてて好きでもない劇団の芝居を見て回ったかというと、敵情視察のつもりだったんですね。

両劇団とも、「ガーリー」で「おとぎ話」で「なんとなくオシャレ」という方向性をもっていて、「ガーリー」は糞食らえですけれども、他のふたつは僕がこれからやっていきたいこととカブっていたので、「こいつらより面白いものを作らなければならない」という意気込みをもって観にいったわけです。

 

僕がマイムを始めたのは、おとぎ話というか、「ファンタジーをやりたい」っていう思いがあって、ショートアニメーションのような世界観で(例えば「out of sight」とか)表現ができる演劇って何か、ってことを考えていたんです。


Out of Sight (敲敲) - YouTube

 

で、なぜ『パフ』を面白いと思い、悔しくなったかというと、『パフ』のなかに「ファンタジーをどう演るか、なぜ演るか」の答えのひとつのパターン(あくまでやり方のひとつ)があったと思うからなんですね。

 

「パフ」は、ファンタジーとしては竜と少年の別れの物語なわけですが、まずそれを見せる「半人形劇」のやり方に感心しましcた。

所詮素人で、美男でも美女でもない生身の人間が、手作り感満載の衣装にメイクして「村長おおおお」とか言って物語の住人ぶり出したらそれはサブいわけで、基本的にそのサブさは笑いに逃すしかないんだけど、ちゃちな人形とそれを雑に動かす人間を"併せて"見せるっていうプランは、特殊な技術のないそこにいるメンバーでもできる、「サブさを認めつつも、ファンタジーをやる遊び心を殺さない良い手口」になっていたと思うからです。これが「どう演るか」の部分。

 

「なぜ演るか」で感心したのが、物語に出てきた「島を襲う黒い竜」と「火砕流」の重ねあわせ。

ファンタジーはやっぱり個人的な悩みどうこうを語る道具ではなくて、「どうにもならないこと」を「どうにもならないまま」描き出すためにあるものだと思います。

もしパフとの別れが作者個人の「さよなら」として描かれていたら「はいはい」って感じだったんですが、最終的には三宅島の、あるいはフクシマの「さよなら」になっていたわけで、まあそれはよくある手口かもしれないけど、"やってくれたな"と思いました。

ファンタジーであればこそ、ダンボールを覗きこむテディベアを見て、「屋外で飼われていたために避難先へ連れて行けなかった"毛むくじゃらの家族"」とかを観客が勝手に想像できるわけで。

 

まあそういう。

自分の問題意識に刺激を与えてくれたという意味で、面白かったです。ギターの生演奏も良かったし。

 

僕がマイムを通じて「どう演れると思っているか」「なぜ演るのか」っていうのは、また今度書ければいいなと思います。それでは。